こんな人が書いてます

人を想う気持ちが世界を動かした。エレノア・ルーズベルトの教訓

エレノア・ルーズベルトって、日本ではそんなに知名度がありませんが、アメリカの第32代大統領フランクリン・ルーズベルトのファーストレディーです。

エレノアのすごいところは、人を思う気持ち。

特に、立場が弱く迫害を受けている、女性、黒人、若者、そして、アメリカを飛び出し、世界の人々を救おうと行動します。

大人しくて控えめな少女が、生涯をかけて人を救ってきた軌跡に触れていきましょう。

エレノア・ルーズベルトの年表

エレノア・ルーズベルトの人生を、年表で追ってみましょう。

エレノア・ルーズベルトの年表

1884年 アメリカ ニューヨーク州に生まれる
1899年 イギリス 15歳で渡り3年間女子校で学ぶ
1933年 夫が大統領へ
1945年 夫死去
1946年 国際連合に出席
1962年 死去

エレノアは、弱い立場の人にスポットライトを当ててきました。

貧しさや病気で苦しい生活をしている人、地位の低い女性や黒人。

困っている人がいると知って、どのような行動をしてきたのでしょうか。

女性の地位を上げるために

当時は女性の身分が低くて、できないことが多くありました。

例えば、選挙の投票権がない、女性が働くことに批判的、テレビやラジオの主要なポジションの女性の起用はありえない、男性が全面に出て主導権を握っている状態でした。

エレノアは、女性の立場が不当に低すぎることに疑問を抱いて、女性に選挙権を求める婦人有権者連盟に参加し、ファーストレディーの立場を利用して、フェミニズム(女性の地位向上運動)のリーダー的存在になりました。

エレノアがしたことは、新聞に自分の意見を載せて、アメリカ中の人に知ってもらうことでした。

新聞の中で注目度の高い政治欄は、女性が題材になることも女性記者が書いた文章さえも載ることが無かったので、エリノアは、女性記者のみが入れる記者会見を開いて、そこで夫に変わって大事な政策などを発表したのです。

すると、エリノアが話したことが政治欄の内容になり、女性記者が書いた記事が政治欄に載る、これが作戦成功!

のちに、「マイ・デー(私の1日)」という新聞のコラムを毎日投稿し、多くの女性が新聞を読むきっかけになったと言われています。

ファーストレディーであるエレノアじゃないとできないことを成し遂げました。

大統領の代わりに

エレノアの夫は、病気のため車イス生活を余儀なくされ、大統領を辞めようとしていましたが、エリノアが変わりに活動をするから続けるべきだと提案して、エレノアが積極的にアメリカ中を飛び回りました。

戦争で攻撃を受けた場所や兵士の家族、災害や事件・事故などで困っている人に直接会い、帰って夫にどんな状況かを伝えて、どんな支援が必要か話し合っていました。

エレノアの性格は、気取らずに、人を包み込むような優しさがあり、好奇心旺盛で、勉強熱心だったそうです。

生活に困っているときにファーストレディーが来て、直接お話ができたとしても、ただの視察だろうなって思うでしょう。

訴えを聞いて「大変ですね」って言葉だけで終わるところを、エレノアは自分ごとのように考えて変えていくのです。

大統領の代わりをしていくうちに、もっとたくさんの支援を断続的にしたいと思い、こんなことをし始めました。

ファーストレディーであるエレノアの活動が話題になって、インタビューの依頼があったのですが、最初は断っていたのを受けるようになりました。

その出演料や執筆料を慈善事業に寄付したり、黒人少年を呼んだピクニック、非行少女のティーパーティーなどの資金にしました。

エレノアは、15才から留学したイギリスの学校で、自分の目で判断し、救いの手を差し伸べるという、古いしきたりに囚われない自由な発想を学びました。

エレノアは、人を救うために勉強すること、お互いを想い合い、古い考えにうち勝つことを大事にして「どうすれば困っている人の役に立てるのか」を常に考えていたのでしょう。

その考え方に出会って素晴らしいと感じて、エレノアの人生の指針になっているから、積極的に行動し、考えてベストだと思うことをするのがエレノアなのです!

人間が真に生きるべき

12年間、夫の代わりに人々を救ってきましたが、夫が亡くなり、エレノアの活動が終わりました。

のんびり余生を過ごそうと思ったら、次期大統領に国際連合の総会にアメリカ代表に推薦したいという話がありました。

時を同じくして、第二次世界大戦が終わり、戦勝国が中心になった国連人権委員会が発足、世界人権宣言が作られることになりました。

人権宣言の議長は、世界中を探してもエレノア以外には適役はいないですよね。

人権とはこうです。
「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」
引用先↓
http://www.moj.go.jp/jinkennet/kanagawa/kanagawa_nandesuka.html

生活・勉強・職業など、幸せになるため夢に見たり、成ろうと努力することに、誰しもが自由だよねっていうものが人権です。

平和な今は、人権について考えることはありないのは、迫害や差別が多かった頃に尽力してくれたエレノアを筆頭に、訴えて行動し続けてくれたおかげです。

この世界人権宣言を決めるとき、各国の代表がそれぞれ違う文化や宗教、生活を考慮して、「人権とは」と考えを持ち寄ったものを、エレノアを始め代表者が内容を熱心に分析してまとめ上げたのです。

世界人権宣言の日本語に訳されたものは、法務省のHPにあります。
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00172.html

この文章は、「個人の権利と国の義務について書かれた、協力で、感動的で完全なる文書」だと世界中で絶賛されました。

おわりに

「弱きを助けたい」と強く思ったエレノアは、勇気と知識を持って行動してきました。

人を救うのに、知識は必要不可欠です。

困っている人をどうやったら救うことになるのか、今の何を変えればいいのか、ずっといい状態をキープできるのか。

それを考え続けるのが、政治の役目です。

エレノアのしてきたことを知ったからには、政治だけに頼るのではなくて、自分の周りの困っている人のことを、積極的に考えて行動し、人の気持ちに寄り添うことから始めたいですね。